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現代に生きる縄文人、雨宮国広さんをご紹介します。

この人、雨宮国広さん。本物の大工さん。(地球元気村所属)

しかも石斧で家を建てる縄文の大工さんだ。

 

これまで幾つもの建物を石斧だけで建てて来たが、先月9月には一年前から手掛けてきた能登町真脇に本格的な縄文小屋を完成させた。写真参照。

 

石斧は鉄の斧に比べ、作業に20倍もの時間が掛かるが、その速度こそが人の心と体のリズムに合っているのだと雨宮さんは言う。現代人は石斧の数千倍もの速さを持つ様々な機械を使い効率よく作業を進めるが、その分のストレスは計り知れないものがあるらしい。

そんな風に建てられた住居の中で縄文人の暮らしは2万年もの長きに渡って営まれてきた。広い原野と色濃い自然の中で、温暖化も異常気象も無く、平和に暮らしてきた。

今、雨宮さんの夢への計画は着々と進んでいる。今年の秋から来年にかけ、丸太で作った舟を作り、それを使った海の航海に出る。実行は再来年。糸魚川から能登半島を一周する予定だが、出発点となるその糸魚川までは山梨の家に近い釈迦堂遺跡(笛吹市、全国一の土塁の出土量を誇り、縄文時代には数万人の生活があった?)辺りから「裸足」で歩いて向かう計画。笑。

 

既に訓練として裸足の生活は日常化し、これまで黒川鶏冠山には裸足でニ度も登った。食生活も努めて木の実を食べ、服装も常に縄文スタイルに拘る。

私たちの輝ける未来は、懐かしい過去にある。
ーーそんな言葉も聴こえてくる昨今、僕と地球元気村はそんな雨宮さんの行動と成果に大いに期待し、今後の社会の在り方を学びたい。

(雨宮さんは当面、NPO法人地球元気村を連絡窓口とし活動する)

2017年10月06日

バイクの話題です 風間親子テレビ出演のお知らせ

元気村と共に、村長のライフワークであるバイクの話ですが、

1月2日から14日、「世界一過酷な」ダカール・ラリー

(旧パリ・ダカ、村長が二輪部門日本人初出場者)に、

三男の晋之介(俳優・モトクロス国際A級)が出場し、

自身は監督として同行しました。

 

リタイア率30%を越えるサバイバルレースを見事完走、

日本史上初となる二輪部門での親子二世代完走という、

歴史にその名を刻む快挙を達成することができました。

 

そんな二人が生出演し、映像も交えながら熱戦の模様とその舞台裏を語りますので、

山梨の方限定になりますが、ぜひご覧いただければ幸いです。

 

 

2017年2月01日

【風間村長の熊本地震通信】vol.⑧

 

【こんな人たちに会いました】

モンベルアウトドアー義援隊。

 

被災から3日目の日曜日から50張りのテントを南阿蘇村の南部「あそ望の里」に張って、

避難者に提供したモンベルアウトドアー義援隊のスタッフたち。

 

阿蘇の素晴らしい景観と、そこに展開するアウトドアーアクティビティーの前進基地として

昨年の春にオープンしたモンベル南阿蘇店だったが、その1年後、

まさかこの様な形で当地に貢献しようなどと、誰も想像しなかったことだ。


アウトドアーの技術や経験、用具類の機能性は、今回の様な危機管理には最適。

そんなエキスパートの集まる義援隊の存在感は地域にとって心強かった。

 

 

2016年4月25日

【風間村長の熊本地震通信】vol.⑦

 

初めて踏み込んだ熊本被災地。

宮崎県延岡市から高千穂を経て、熊本県北東部に位置す高森町に至る陸路である。

高森は町の道路の傷み、家屋損壊の様子も見た目にはなく、

スーパーや飲食店が平常に営業をしているのを見ると、ここが本当にあの阿蘇の被災現場?

と狐につままれた気分。


で、いよいよ、友人の住む南阿蘇村の中心部へ。

ところが、ここも高森と同様、村内の雰囲気はまるで平静を装い普段のとおりなのだ。

久しぶりに会う友人と握手を交わし、被災の様子を聞くと「現場は村の北側であり、

極めて極部的」とのこと。

 

向かった現場はさすがに物凄い惨状だった。

 

 

 

数ヶ月前に建て直したばかりのコンビニの駐車場の地割れ。

 

 

残った長陽大橋と新しい流れになった黒川。

 

 

地面がまるで波の様にガタガタに盛り上がった。

 

 

まるで階段の様になった県道。

 

 

無くなってしまった阿蘇大橋と大規模な山崩れの現場だ。

 

 

高い鉄塔も倒れた。

2016年4月24日

【風間村長の熊本地震通信】vol.⑥

熊本および九州で被災地された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

 

 

熊本復旧前進、友人は皆元気!

 

 

朝の7時から熊本のあちこちの友人に電話をかけてみた。

南阿蘇村の友人、熊本市内の友人、山都町、大津、玉名の友人も、皆一様に元気いっぱいに張り切っている様子。

夜は早く寝て、朝は早くから行動を開始しているらしい。

 

特に、熊本市内の友人は工務店の経営者だから、あちこちの修復、修繕の作業に飛び回っている。

日頃は熊本市内に多く残る古い町並みや建物を活かし、これを現代風にアレンジする斬新でユニークな商店街やブティックを多く手がけるから、、

「街の6割が壊滅し、熊本の宝物の様な風情が沢山無くなってしまった」

と肩を落す。

 

が、今は嘆いてばかりではいられないのが現状。

「ようやく昨日から家に戻り寝れるようになったし、沢山もらった救援物資を、友人にも届けに行かないと、、」

と前向きの姿勢だった。

 

一方、南阿蘇村の友人〔実はこの人、村の観光協会の専務理事〕は、朝から村内を一巡し、自衛隊から5月より自衛隊の専門部隊による家屋の修繕作業が始まることを聞いてきて、さっそくその準備に取り掛かる。

皆にその事を伝達、木工器具の用意。これからは落ちてしまった瓦屋根の修繕、修復、ブロック塀、家の床や壁などの内装工事などなど、当分は建築、木工関係の作業が忙しくなりそうである。

 

 

で、問題となる我々のボランティア活動は?

 

修復作業のその前段階となる瓦礫の撤去の作業や、被災者へのお世話だから、出撃ももう間近だ。

 

一部では既に当該ボランティアセンターも開設され、その作業も始まっているようだが、ここは焦らず、ゆっくり、自立の支援体制をしっかりと準備し、定めた場所へと向かって欲しい。

2016年4月22日