地球元気村

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自然は使って守るもの

【文化多様性の危機】

松田先ほど、鹿を獲って食べることに抵抗があるという話が出ましたが、こと食べものに関しては、実は結構みんな保守的なんですよ。それは人間だけでなく、野生動物でもそうです。なんでもかんでも食べてみよう、とはなかなかならない。食べ慣れているものがやっぱり安心で、食べ慣れていないものを食べないのは普通の生理的反応、防衛本能です。なんでも、試すということには勇気がいります。ある地域で、他の地域から見てとんでもないと思われるようなものを食べているとしたら、その地域には、それを食べる必然性があったんだと思います。それは、それぞれの文化なんですよ。食べ物は、みんな生きものです。食べるとは、生きものを利用すること。つまり、自然をどう利用するかということで、それは地域によって違うんです。つまり生物多様性というのは、ある意味、文化多様性ということでもあるんです。
今、生物多様性の危機が騒がれていますが、実は文化多様性の危機の方が大きいのではないかと私は思っています。伝統的な食文化のもとへ、よそから別の食べ物が入ってきたら、伝統的な食べ方は忘れられます。人と自然とのつきあい方で、昔やっていたことも、一度断絶してしまった後に再びやるというのは、いろいろ難しいことが起こります。例えば鹿は食べられる。でも、食べ方を忘れていると、ひょっとすると次回食べる時には食べ方を間違えるかもしれない。それをうまく繋ぎ直すということがすごく大切なことになります。

だからこそ、元気村の活動で言うならば、子ども達に体験させることも、新しいことよりも、伝統的なものとか、地域のものとかがいいと思うんですよ。特に食べ物に関してはそうなのではないでしょうか。

― 自然とは、本来、それに適した方向に流れて行くものだと思うのですが。そういう意味で、今、多様なものが一元化していっているということは、それが自然にとっては都合がいいのでしょうか。

松田誰にとって都合がいいか、ということだと思います。人間社会でも、ひとりの人が勝ち過ぎて、結局社会全体の機能は失われてしまうなんてことは、いくらでもあります。進化というのは、社会全体の機能が常に高まるようには進まない。それは生態系も同じです。生物の進化は、その種全体が繁栄する方向にばかり進むとは限らないんです。それよりも自分のDNAを引き継いだ子孫が増える方向に進むという見方もあります。我々が、文化多様性などと言っているのは、多様な方が恐らく全体がうまく機能するだろうと思っているからですが、自然のなりゆきに任せていてそれが保たれるとは限りません。
今の世の中、あまりにも極端に生物多様性や文化多様性が損なわれる方向に流れています。目先の利害にとらわれて、肝心の自分の子孫の将来すら危うくなっている。例えば自然資源の乱獲は、将来自分の子孫が利用する資源をも奪ってしまうにも関わらず起こっています。その理由のひとつは、自分だけで使うなら末永く大事に使うものが、みんなで共有すると、私は大事にしたのに誰かはたくさん使って結局両方とも使えなくなった、となるからです。それならどっちが得かって、使った方が得な訳で、だったら使ってしまおう、と。だから、自然を使って守るためにルールは必要だと思うんですよね。ただ、そのルールは必ずしも法律でなくても、信頼関係などでもいいのかもしれません。

松田裕之

Hiroyuki Matsuda

横浜国立大学環境情報研究院教授。専門は、生態リスク学、数理生物学、水産資源学。日本生態学会会長、海洋政策研究会理事、日本MAB計画委員会委員長。主な訳書に「つきあい方の科学」、著書に「最新環境百科」「<共生>とは何か」「環境生態学序説」「ゼロからわかる生態学」「なぜ生態系を守るのか」「世界遺産をシカが喰う(共編著)」「生態リスク学入門」など多数。

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