地球元気村

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縄文流 いのちの伝え方

僕が石の道具と出会った後に鉄を使って思うのは、人間の魂というか心を吸い取られるような気がするんです。自分が何をしているのかが見えなくなる。木を伐っていても、石斧で切る場合は、すごく時間がかかるので、その時間を通して自分に伝わってくるもの、今まさに木の命を頂いているんだ、という感覚になるんです。そこでは「どうぞよろしく」「ほんとうにお願いします」って心から思ってやらないと、道具を振っても木に跳ね返されるだけで切れない。そういうことがわかってきたんです。木の命と本気で向き合うことになるんです。
ところが、鉄斧で木を切っていると、今自分が何をしているかも忘れて、ひたすら振り続ける。勢いがついてばんばんやってしまう。凄く変な気持になるんです。
それがさらにチェーンソーになるともっと凄くて、もう何が起こったどころか、すっかり次元が違うところへ行ってしまいます。生命と向き合うとかなんていうのとは全く違う別世界。人間の肌感覚を、とうに超えてしまうんです。
人間は、本来は手だけでものをつくって暮らすことができていたはず。その手の延長としての道具と言えるのは、僕の感覚では石までなんです。鉄の道具や機械とかっていうのは、僕にとってはつくるよりも破壊する道具になってしまう気がするんです。そうしていつしか人間は心も奪われてしまって、結局機械に使われるようになっていくんじゃないでしょうか。
人間って、本来は持っている能力がいっぱいあるのに、今の世の中、それを使わず駄目にしてしまっていると思うんですよね。みんな機械に頼ってしまっています。車に乗れば当然足は退化する。なんでもボタン一つで記録できれば暗記力もおちる。広告はプラスのことしか言わないです。でも、本当はそのマイナス面も見てから、物質文明とはつきあわなきゃいけないと思うんですよ。
石斧で木を伐る時間、それは、人間が木の命をいただくということと対峙する時間でもある
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